Memorandum of Haruki 'ハルキの備忘録‘

yahooさんから 引っ越してきました。どうぞよろしくお願いします。

詩 『乳母車』 三好達治







 今日神社で紫陽花を見ました。
曇り空の下の紫陽花は、悲しげで寂しげで
三好達治さんの『乳母車』の詩を思い出しました。



 

母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花あぢさゐ いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかつて
轔々りんりんと私の乳母車を押せ

赤い 総ふさ ある 天鵞絨びろおど の帽子を
つめたき 額ひたひ にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふ
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知つてゐる
この道は遠く遠くはてしない道




この詩には いろいろな解釈がありますが 
今の自分の勝手な想像と妄想で書いています。
あくまでも 個人的な解釈ですので、、お許しを

三好達治さんは6歳で養子に出され、11歳で祖父母のもとにひきとられます。
神経衰弱で小学校も休みがちだったようです。


  三好達治さんは養子として貰われていったときのことを
  自伝的小説「暮春記」で、
     
  「さうして私の眼には、私の身のまはり、私の棲居や家族の者が、
  私にとつて魅力もなく希望もない、退屈なもの、つまらないもの
  変によそよそしいものに思へた。
  眼の前の父の顔も、何か間遠いものに見えた。
  今のさきまで一緒に遊んでゐた兄弟達も、たまたま路傍で避ぐり会った半日の遊
  びの友達、そんな風なものとしか思へなかつた。
  母もやはり私の心を惹かなかつた。
  ~略~
  もともと私には、家庭を愛するやさしい感情、家庭に
  親しむ温かい気持、そんなものが欠けてゐたとでもいふのだらうか」

 
と書いていたようです。


そんなこともふまえながら 私流に訳?してみました。

 



「乳母車」

 
 おかあさん 

 淡くかなしきものが 天から舞い降りてきます。

 紫陽花いろのものが 天から舞い降りてきます。

 はてしなき並樹のかげを 進むべき道のかげを
  
 静かに寂しく風が吹いています。


 夕暮れ時です
 
 お母さん 私が乗っている乳母車を押してください

 泣きぬれる夕陽にむかって

 車輪をりんりんと響かせながら 私が乗っている乳母車を押してください。


 赤いふさのあるビロードの帽子を

 つめたくなった私の額にかぶせてください、お母さんの愛をかぶせてください。

 旅に急ぐ鳥の群れも

 季節になれば 皆で空を渡っていくのですよ。


 
 淡くかなしきものや

 紫陽花いろのものが舞い降りる道

 お母さん 私は知っています

  この過去へと続く郷愁の道は 遠く遠くはてしない道だということを。


 でも お母さんが愛おしいのです。





過去の世界を描くことによって満たされなかった愛情を
埋めようとしていたのかな~。
なんて 偏りのある解釈をしてみました。

 

さて 近場の神社で紫陽花観賞。
明日から あじさいまつりでざわざわするので  
今日、犬と散歩しました。






























洋風庭園で咲くあじさいもいいけど
やはり 和風テイストを背景にしての紫陽花は 
『いと あはれなり』って感じだね。


     ヒグチ ユウコ さんのイラストまねて描いてみました。

 私は 犬です。
 小狸ではありません。