Memorandum of Haruki 'ハルキの備忘録‘

yahooさんから 引っ越してきました。どうぞよろしくお願いします。

ムンク展―共鳴する魂の叫び

あの『叫び』見てきた。
美術に疎く ムンクといったら『叫び』しか知らなかったのだが、新聞の見出しにもあるように「『叫び』だけではない」
見応え充分のムンク展でした。




作品は、ほぼ 制作の年代順に展示してある。

5歳 母が結核で死去
14歳 姉が結核で死去
17歳 画学校に入学
26歳 初の個展 パリ留学。
   父が脳卒中で死去。
29歳 ベルリンでの個展が1週間で打ち切り
39歳 銃爆発で負傷
46歳 ノルウェーに帰国
64歳 ベルリンとオスロで大回顧展
1994年 80歳 死去

ムンクの生涯は波乱に満ちたものでそれが作品に反映されている。
初期の作品は 暗く常に傍らに死神がいる感じだ。
それらの作品を見ていると 胸がしめつけられて苦しくなる。
この調子で100点余りの作品を見るのはきついな~なんて思いながら 進んでいく。
しかし 晩年にいくにつれ 色彩が豊かになり 作風にも光を感じる作品が多くなっていき 会場を出るころには 「来てよかった」
と思えた。


ムンクの作品には 白 赤 黒が象徴的に描かれている。


白は誕生 無垢。
赤は 欲情 繁殖 嫉妬
黒は 死 不安

初期の作品は それらの色が重く辛く感じるが
後期の作品は 黒でも それを受け入れて自分の人生を達観しているようで希望を感じた。 

『叫び』は 5分ほど並び最前列で見た。
ゴッホの「ひまわり」やドガの「踊り子」を見たときのような
わ~!!という感動はなかったが 吸いつけられるような不思議な感覚だった。
そこには絶望 不安 孤独が描かれているようだが 尋常ではない心境が推測される。

「わたしは、二人の友人と一緒に道を歩んで行った。
太陽が沈んだ。
ー空が血のように赤くなった。
そして、ものうげさが、ふと感じられた。
ー死ぬほど疲れていたわたしは、じっと佇んでいた。
ー青黒いフィヨルドと町の上に、血と焔の下が横たわっていた。
ー友人たちは、歩き続けーわたしは、ひとり取り残された。
ー不安におののきながらーわたしは、自然の中に、偉大な叫びを感じた。」 

わたしがこの作品を描いた時ー雲を本物の血のように描いた。
ー色彩が叫び声をあげた。
ーそれが生命のフリーズのなかの『叫び』となった。」
byムンク

ずっとゆで卵のような顔の人が手を口に当てて叫んでいると思っていたが 周りの音や耐えがたい状況に耳を抑えて苦悩している姿だと知った。


この『叫び』以外にも心を動かされる素晴らしい作品が多数あった。ほんの一部分を載せてみた。

わたしは、目に見えるものを描くのではない、わたしが、見たものを描くのだ byムンク



1900-05年
星空の下で
哀しみにくれるムンクを抱擁する母親の姿のような気がして辛くなった。




並木道の新雪
雪の白が温かく 気持ちが穏やかになる。



1907年
すすり泣く裸婦
泣いている女性のふくらはぎや腕の筋肉は若々しく 
悲しみの向こうに希望を感じさせる作品






1910-13年
太陽
美しい光が大地に降り注ぐ 
力強いエネルギーを感じさせる作品。




1922-24年
星月夜
右下の黒い影はムンクらしい。
冷えた清々しい空気が感じられ 気持ちが落ち着く作品。




1940-42年
皿にのった鱈の頭と自画像
魚の頭は死をイメージさせ それを食べてやる、と言っているようだ。
死を乗り越えて生きていく という意気込みを含んだ作品らしい。



1940-43年
自画像 時計とベッドの間
時計には 針が無く もう死が近いことを示唆している。
もう 怖いものはなく 静かに死を待っているかのようだ。



芸術は、私の生活に、一つの意味を与えた。
わたしは芸術を通して、光を求め続けて来た。
わたしの芸術は、わたしに必要な、杖であった。 by ムンク