Memorandum of Haruki 'ハルキの備忘録‘

yahooさんから 引っ越してきました。どうぞよろしくお願いします。

子どもは残酷? 昨日の地震。

 昨日 昼過ぎ横揺れの激しい地震があった。
久々の強く長い揺れだったので 緊張したが その後は何もなかったので
ほっとした。


5月25日 (月)

夕方 公園に犬と散歩に行く。
6:00のゆうやけチャイムは鳴ったが 
まだ明るいので保護者と一緒の幼児や
遊び足りない子ども達は まだ帰らないで公園にいる。
公園のベンチで犬に水をあげていると 小学生の女の子が3人集まってくる。
「かわいい~、さわっていい?」
「なんて 名前なの?」と聞いてくる。

「ゆうやけチャイム 鳴った?」
と女の子達に聞くと
「うん、さっき鳴ったよ。でもね お母さんがいるからいいの。」
と話がはずんでいるお母さんの集団に目をやる。
そのそばの砂場では 弟や妹らしき幼児が遊んでいる。

女の子達は、犬をさわったり なめられたりして 喜んでいる。
犬も女の子達に可愛がられずっとしっぽをふってご機嫌だ。

そのうちに今日の地震の話題になる。
地震の揺れで 机の下にすぐ入ったそうだが 
一人の友だちが泣きだして止まらなくなったようだ。
それで 揺れがおさまった後 先生がその子を保険室に連れて行ったようだ。
「○○ちゃん 変だよね、あれくらいで泣くなんて 変だよね。」
「そうだよ。なんで泣いたんだろうね。」
「○○ちゃん、地震で家が流されちゃったから、そのこと思い出したんじゃない?」
「でも もうずっと前の事じゃん。」
「そうだよね。」
「やっぱり ○○ちゃん おかしいよねえ。」
と言ってクスクス笑っている。

泣きだした女の子は 東日本大震災の時に東北に住んでいて被災したようだ。
それで その地を離れ ここに引っ越してきた。
ここに住んでいる小学生達は その時大きな揺れを感じ 多少は不便な生活をしたが、家が壊れたり 地震で身近な人が亡くなったりという体験をほとんどの子どもがしていないようだ。
だから 地震の怖さをテレビの映像で見ることはあっても目の当たりにしていない。

それで ○○ちゃんの地震の恐怖や悲しさを想像することができないのだろう。


過去にこだわりすぎない事は いいことだが、○○ちゃんが負った心の傷は こだわりたくなくてもずっと残っていくものなのかもしれない。
被災した地域から離れていると 過去に起きた悲しい出来事としか認識していないが
当事者にとっては それがまだ続いているのだと思うと胸が苦しくなる。

子ども達に聞いてみる。
「もし 今、地震が起きて 家もなくなって 自分の家族や友だち、みんないなくなっちゃったら どうする?」

「そんなことあるわけないじゃん。」

「そうだよね、そんなことあったらすごく悲しいし 困るよね。
でも ○○ちゃんには そういうことがあったんだろうね。」

子ども達は 黙ってしまった。

子どもは 時として残酷だ。
体験不足、想像力の欠如から 触れてはいけない傷口に塩を塗る。
だから 子どもなのだ。
不安や心配を忘れて 明日だけをみて生きていくことができる。
だから 子どもなのだ。

なんともいえない気分で公園を後にした。

家の門を開けると 日ごとに色付いていく紫陽花がこっちを向いていた。