Memorandum of Haruki 'ハルキの備忘録‘

yahooさんから 引っ越してきました。どうぞよろしくお願いします。

①『ポストの子 出生~中学受験』


4月12日(日)


 父と母の夢を見た。



 中肉 中背 笑っていないが 怒ってもいない。



 その表情をよくみようとした ぼんやりしていて よくわからない。



 僕は 父の顔も 母の顔も記憶がないからだ。



 どこで生まれたのかも知らない。



 でも しつこく聞かれると こう答える。



こうのとりポスト、いわゆる赤ちゃんポスト

そう僕はポストに置かれたんだ。」



 そういうと



「ごめんね、」



 といいそれ以上聞いてこない。





 僕は スターグループという団体が運営している施設で育った。



 そこは 丘の上にあり下の賑やかな街があることも忘れさせてしまうほどの 
 静かな異次元の森の中にいるような場所だ。



 真ん中に大きな教会がありそれを囲むように 
 幼稚園 小 中 高校、大学がある。

 その敷地内には 小さなパン工場やレストラン 
 コンビニもどきのような店もある。
 敷地の道路を挟んだ向かい側には 
 小規模だがスターグループ系列の総合病院もある。
 だからそこでほとんど生活に必要なものやことはまかなえる。



 学校のずっと後方には別の門があり、修道院乳児院、養護施設がある。
 小さなパン工場も ここにある。



 僕は 生まれてすぐ その乳児院に入り 
 その後 毎日 パンの焼ける匂いを嗅ぎながらここの養護施設で生活をしている。

 それは スターホームといわれている。

 この乳児院や養護施設は 誰でも入れるわけではない。

 教会の関係者でいわゆる知識豊かで富裕層といわれる人 スタークラブ会員の紹介        

 や援助がないと入れない。

 
 富裕層と乳児院や養護施設って結びつかないようだが、



 ボランティアの一つとして 保護者のいない子どもや保護者が育てられない子ども

 スタークラブが引き取ってこの施設に入所させる。



 かなり高額な費用がかかるが それらはすべてスタークラブ会員が支払う。



 僕がおかれた産院のこうのとりポストの病院長が スタークラブ会員だ。



 ポストに入れられた引き取り手のない乳児は この乳児院に入る。



 それが 僕だ。





 僕は 幼稚園に行くまで 世の中のことがよくわからなかった。



 ホームは広く 木々が生い茂り、ザリガニがいる池や野菜畑もあり 
 いつもそこで友だちと遊んでいた。
 ときどき丘の下の街までいくこともあったが 
 ここ以外の生活があることに気づきもしなかった。



 でも 幼稚園に行き ホームではない子どもたちやその母親などと関わりをもつよ                    うになり ホームというところ そして僕たちは 普通ではない特別な存在なのだということに気づかされた。

 小学校は 丘の下の公立の小学校だ。
 ホームの子は いろいろな公立小学校、
 一つの学校に 3~4人に振り分けられた
 入学当初は ボランティアの大学生が 送り迎えをしてくれた。
 登下校時 僕らを見て こんなに小さいのに かわいそうと涙ぐむ人や
 洋服やお菓子をくれる人もいた。

 スターグループの小学校は 受験をして入る学校だ。
 ホームの子どもがいると品位が下がるので 公立の学校に行かされる。
 昔は ホームの子ども達の学校だったのだが 教育に熱心な親が増え、
 グループの大きな収入源となるので 小学校の評判をあげたいらしい。
 ホームでは 親から虐待を受けたり、放棄された子どもも多く 小学校で
 問題行動を起こすことがある。
 同じ問題行動を起こしても ホームの子どもは「ホームだから、」と特別視され
 お受験組の保護者から嫌がられていた。
 それで 僕らは すぐ目の前に学校があるのに そこには 行かれないのだ。

 
 学校からホームに帰った後は ホームの外に出られない。
 小学校の4年生になると 5:00の門限があり 
 放課後の過ごし方が 自由になる。
 友だちの家に行ったり 駄菓子屋に行ってお菓子を買ったり 外に置かれている
 お金を入れてするゲームができるのだ。

 4年生になるのが 待ち遠しかったが いざ4年生になってみると
 放課後、僕は ほとんどホームの外にでなくなった。
 ホームの森の中でホームの子ども達と木登りをしたり どろけいをしたり、
 木の枝で闘いごっこをしたり、ザリガニつりをしたり、
 以前と変わらない遊びをして過ごした。

 5年生になるとホームの小さな図書室でずっと本を読んでいた。
 スタークラブ会員達が 本を寄贈するので いつも新しい本があった。


 4年生になった僕は 友だちの家に行って遊んだ。
 テレビゲームで対戦したり 漫画本を読んだり 
 友だちのお母さんが出してくれるおやつやジュースを飲んだりした。
 どこの家に行っても 僕がホームの子であるとわかると「えらいわねえ」と言われ
 た。そんな言葉や視線には 慣れていたが 自分の環境と普通の子どもの環境とは  明らかに違っていることを見せつけられた。
駄菓子屋に行っても 想像していたおもしろさはなかった。
それで 放課後、僕は 友だちと遊ぶことが減り ホームで過ごすことが多くなったのだ。

親が病気や事情で世話が出来ず ホームに来る子どもは 1年もたたずに家庭や親せきの家へと帰っていく。

3,4年生までに、身寄りのない子どもは、里親に引き取られホームを出て行くことが多い。
僕にも 里子の話があったが 断った。
僕は 友だちの家で見る温かいであろう家庭の姿に憧れることはあったが 
里子に行き いつも繕い笑顔でいなくてはいけない生活を送っている友だちからの手紙をもらうたびに 今の生活でいいと思ってしまう。

僕は ポストに置いた親が来るかもしれないと1年は乳児院にいたが、その後、里子の話がたくさんあったようだ。しかし 乳児院では 手がかからない僕が お試しでよその家に行くと泣きやまず、唇が紫色になるほどチアノーゼ状態になってしまうことが度々あり 里子に出すことは諦めたらしい。 
周りの人は「この子は ここでお母さんを待ちたいんだね。」と口ぐちに言っていたらしい。

僕は昔から 繕うことが苦手だったようだ。

ホームでは 個人の部屋はない。
あえていうならトイレくらいかな?
勉強をする部屋には 各自の囲いのある60CM幅の小さな机があったが机はぎっしりと並べられ 養鶏場の鳥がえさを食べるみたいな
作りになっている。
寝るのは 8畳くらいの洋間に2段ベッドが2台置かれ 病院の病室みたいな カーテンで区切られている。


勉強の時も寝る時も一人にはなれないが ここでは ゆっくりと一人になれた。
僕が図書室を利用する時間帯は 小さな子どもは来ないし、
高学年の子ども達は人数も少なく 5:00の門限まで 外で遊んでいるので 
僕は いつもほとんど一人だ。
僕は 放課後 本の世界に入り浸った。
その世界は 自由で 誰にも邪魔されない 空間だった。
冒険に行ける、可愛い少女に逢える、気の合う友だちが出来る、
悲惨な人生を送っている人が共感や勇気や希望をくれる、
僕にとって 図書室は かけがえのない場所だった。


15人で入学祝いをしたホームの同級生も
6年生になった今は4人だけになった。

でも 新しい小さい子ども達が入ってくるので ホームは賑やかだ。


中学は 引き続き公立学校に行くことになる。
受験組以外小学校での友だちが そっくりその中学に入学する。
でも 僕は今までの僕を切り離したくて 私立中学を受験を考えている。

ホームの理事長に相談すると 前例のないことなので、私立中学の学費や交通費等の諸雑費を出すことはできないと言われる。
ただ スターホームの中学に特待生として入学すれば 入学金や学費も免除されるので それを受けてみては 打診される。

でも そこに入学しても公立中学に行くのと変わらない。

僕は 丘の下の街の本屋に行って 2016年私立中学案内と書かれた分厚い雑誌を立ち読みする。

僕が考えていた以上に特待生制度のある学校がある。
しかし 交通費は払えないので 歩きか自転車で通える学校をさがす。
頑張れば 自転車で通えそうな学校が2つあった。
僕は その2つの学校の名前を忘れないように 繰り返し 唱えながらホームに帰った。
ホームに帰ると その学校の名前を国語のノートの一番後ろの真っ白なページに書いた。

日曜日は 教会に行かなければならない。
それは、日曜学校と言われている。
建前は 自由だが 行った方が あとあといろいろ言われなくても済むので
僕は 必ず行く。

 僕は 国語のノートを手提げ袋に入れて教会に行き ホームの子どもたちや先生と離れたところに座る。
そして 今日はシスターのお話を聞く。
僕は 話を聞きながらも 中学校のことを考えていた。
話が終わり みんながぞろぞろと席を立ち 教会の外に出て行く。
僕は ずっと座っていて 知っている人が出て行くのを見計らい、
教会の一番後ろに座っていたスターグループの高校の制服を着た女の子に声をかけた。一番にこやかなだったからだ。

それで乾いた口びるを一回なめてから 聞いた。
「すみません、私立中学のことについて教えていただけませんか?」
2人の女子高生は きょとんとした顔で 僕を見ていたが、僕が私立中学に行きたいがお金がなくて困っていることを正直に話した。
学校の先生もホームの先生もやさしいが なぜか相談できなかった。
でも全く見ず知らずの高校生には話せてしまう。


「それじゃ 外のベンチで話そうか」
と言って 教会の横の大きな木の下のベンチに行って3人で座る。
ここなら ホームの友だちや 先生たちにも見られることはないだろう。
僕が ホームの子どもだということはあえて話さなかった。
僕は 手提げカバンから  国語のノートを取り出し 最後のページの中学の名前を読んだ。
2人とも中学受験の経験者だったので 詳しく教えてくれた。
1つは 名門と言われる学校で 幼稚園から大学まであり 昔は 良家子女の学校だったが 今は一般の人も多く偏差値は60くらいだそうだ。
もう一つの学校は 高校は前からあったが 中学はできてから4年という新しい学校らしい。
中高一貫校で 有名大学への進学に力を入れていて 偏差値は昨年62くらいで 年々上がっているらしい。
女子高生の妹が昨年受けたが 不合格だったようだ。
いったい、よくでてくる偏差値ってなんだろう?

「どこかの塾に行ってるの?」

「僕は どこの塾もいっていません。家庭教師もいません。」

「えっ!いま何年生?」

「6年です。」

「そういう子 みたことないよ。
 塾に行かないで受験するのって ありなのかな?」

「そんなに難しいのですか?」

「学校にもよるけど さっき言った2校は 偏差値60以上だから 
そんなに簡単ではないと思うよ。
その学校で特待生だと かなり出来ないと合格できないかも、、、」

僕が だまっていると 

「私 中学受験からずっとお世話になって、今もいってる塾の先生に 
 聞いてあげようか?」

「僕 お金がないから 塾には入れないんです。」

「ゴメンね、知ってるよ、ホームの子でしょ?
 
 時々 学校の帰りにボランティアでホームの花壇の手入れに行っているのよ。
 花壇から図書室がよく見えるんだ。
 いつも本、読んでる子だよね。

 心配しなくて大丈夫だよ。
 先生やホームの人達には言わないから、
 塾の先生に 勉強法を聞いてくるね。」

 僕は 何も言えず ベンチの足の隙間から出ているタンポポを見る。


 「今度の教会の日曜学校のあと ここで待ってるね。」

そう言って 別れた。

僕は頭に血が一気にのぼり 顔がみるみるうちに赤くなるのがわかった。
 



次の日曜学校どうしよう?



~次回へ 続く~