Memorandum of Haruki 'ハルキの備忘録‘

yahooさんから 引っ越してきました。どうぞよろしくお願いします。

「王様の耳はロバの耳」 ①

 祖父が亡くなってから 10年目の春が来た。
僕は、昨年大学を卒業し いまだバイト生活の日々だ。
就活はしたが すべて×。
それからやる気も出ず でもそれなりに楽しく、流されながら毎日を過ごしている。
僕の周りは のんびりしていて だれも僕に定職につけとも しっかりしろとも言わない。
もうあきらめているのか それとも言っても無駄だと思っているのかなあ。

祖父は亡くなる少し前まで 地方新聞を発刊していた。
地方新聞といってもここ岬町の人のためだけの新聞だ。
父の話だと1958年に創刊されたこの新聞は、普通の新聞の2分の1のサイズで4面だけだが、当時は 需要が高く 町民の8割がたはその新聞を読んでいたようだ。
多い時で配達する人も入れて10人くらいの人がそこで働いていて 毎日発行されていた。
内容は 町の祭りのことや役場のお知らせ、冠婚葬祭に関すること、
たとえば○月△日に誰が生まれたとか 亡くなったとか、
小中学校での行事予定、花の開花情報などで 記事によっては今では 
絶対個人保護法にひっかかってしまう内容だ。
その中でも祖父が特に力を入れていたのは 1960年、岬町での殺人事件だ。
静かでのどかな岬町で子どもが山の中で殺された。
そしてこの町に住んでいた一人の男性が容疑者として逮捕され 実刑となった。
しかし 後にその男性の自白は強要されたものであるとし、無罪を訴え,
冤罪だ という声がたかまり 日本中の話題となった。
祖父はその取材に 夢中になり公平な立場で記事を書き続けた。
再審要求され 長期の争いとなったが結局 無罪となり、
当時、岬町以外からの 購読者も増えた。
しかし そんな岬新聞も70年代後半がピークでその後 徐々に購読部数が減り 週1回、最後は 隔週で1回の発行となり 年老いた祖父の道楽のような仕事になった。
そして祖父が病気で倒れ 新聞は休刊となった。 
それから 10年以上経過しているので 実質上 廃刊だ。

昨年、祖母が亡くなり 祖父母の家とその隣の新聞社 といっても平屋建ての小さな事務所は今月末、取り壊すこととなった。
僕は 祖父とゆっくりと遊んだことはなかったが、いつも首に手ぬぐいを巻き 汗を拭きながら 机に向かっていた祖父が大好きだった。
時々 話してくれる祖父の話はわくわくした。
学校の先生も両親も誰もしてくれない自然や天体の話、
時には難しい政治の話も面白おかしく話してくれた。

家の解体の前の片付けに来た時、新聞社の中は綺麗に整頓されていた。
祖母は祖父が他界してから10年間、使われないこの部屋を時々掃除をしたり、窓を開け空気を入れ替えたりしていたのだ。
僕は この空間がなくなってしまうと思うと 祖父はいないけれど 心の中の祖父までいなくなってしまう気がして 胸がつぶれる思いがした。
そして祖父が使っていた机を前にして 椅子にすわると 幼い時 将来、祖父と一緒に新聞を作りたいと考えていたことを思い出した。
椅子から見える窓越しには 沈みかけている太陽が雲をオレンジ色に染めている。
その景色ながめていると なぜか祖父の意志を引き継ぎ、新聞を再刊させたいという思いがふつふつと沸いてきた。
僕が 就職できなくて フリーターでいるのは この使命を果たすためのような気もしてくる。

では 何をすればいいのだろうか。
祖父の時代の内容や販売方法では通用しない。
やはりネット配信がいいだろう。
最初から新聞の枠組みでは 敷居が高く見る人も限られるし、
内容を充実させるのが難しい。
まずは ネット小説や人気ブログのようなもので読者を増やし 
いろいろ情報を発信し
最終的には新聞へ移行させていこう

夢みたいなことだけれど、まず小さなことからしていこう。


僕は いろいろな情報サービスにこんな投稿をした。


「王様の耳はロバの耳」
 ~ あなたのこころのブログ待ってます~

自分のブログでは 公表できない事、
たとえば
家庭での不満、先生や上司の悪口、犯罪すれすれの行為、気になるあの人の事、自分の自慢話、自分だけの秘密、言いたいけど言えない事、言ってはいけない事、自分の悪の部分、
などを募集します。
もちろん 匿名で一つの物語にアレンジして公表します。
公表する場合は 謝礼いたします。

『王様の耳はロバの耳』で あなたの心を開放してみませんか?


これ見て 投稿してくれる人がいたらいいのだが、
まあぼちぼちやっていこう。