Memorandum of Haruki 'ハルキの備忘録‘

yahooさんから 引っ越してきました。どうぞよろしくお願いします。

藤田嗣治「異邦人」の生涯



数年前、芦ノ湖の湖上花火と温泉が目的の旅行に行った。
花火大会当日は、舟で湖に出たが、雨が降り 寒くて デッキで見るのが辛く 花火を堪能できなかった。
しかし、翌日は 天気がよく このまま帰るのも、、ということでポーラ美術館に出かけた。
そこでは『レオナール フジタ展』が開催されていた。
初めて見る画家の作品だったが、その作品は、何がそうさせるのかわからなかったが 衝撃的に惹きつけられた。


それ以後 忘れていたが、今、上野でそのレオナール フジタ=藤田嗣治の画業の全貌を展覧する大回顧展が開催されている。
見にいく前に 藤田のことを詳細に知りたいと思い 本を読むことにした。

女性とネコが好き、 日本を捨てフランスに帰化した画家
坂本龍一さんと似ている、豪快で自由奔放な人
というような勝手なイメージを持っていた。
しかし 本を読み終え 違っていたところが多く
興味深く読んだ。

ネタバレになるので、、、
少し?書きます。 

この時代の人々はみんなそれぞれに戦争に翻弄させられた。
藤田もその一人だ。
しかし その悲劇より その時の藤田の取り巻く環境の酷さが藤田を追いつめていった。

自分とは異なるものを排除しようとする
長い物には巻かれる
出る釘をうつ
嫉妬
自分を守るためスケープゴードを作る
など 特に島国に住む日本人にはこういう感情をもつ傾向が強いのかもしれない。


こんな環境の中で藤田は戦うことはせず、安住の地を求めていった。



5歳で母親を亡くし 藤田は、五度の結婚を経験する。
藤田は 女性達の中にずっと母親を求めていたのだろうか。
50代になり 日本人女性と結婚しそれから最期までその女性と過ごした。
藤田の風貌は、おかっぱ頭で丸メガネ、行動も人の意表をつき お調子者といわれていたが、酒は飲めず、絵を描く時間はきっちりととっていたほどの真面目さがあった。傍から奇異に映る姿や言動は、気のやさしさや弱さをカモフラージュするためのものだったのかもしれない。

終の棲家となったフランスの静かな田舎の家で家族ぐるみで付き合いのあった近隣の人が言った、
「明るくて 心のやさしい、蝶のような人でした」
この言葉が一番、藤田を表している気がする。
また 作品には猫がよく出てくるが、藤田は、猫のように 干渉されても 無頓着に あまりしつこい時には 爪をたて 寂しい時だけ 人間になつき 図太く 自由気ままに楽しく生きたかったかのかもしれないと思った。


波乱に満ちた生涯ではあったものの最期は 穏やかであり
ホッとしたが 藤田嗣治の名前や作品は 日本において もっと深く広く知れわたってもいいのでは、と思った。